変えようもない大枠ありき。 (12/10 - 11)
武士とその手先の寺院(坊主)だけが特権的に振る舞える世の中は終わったのだ……という四民平等の時代が来たという理想に奮い立ち
それぞれに活動した人々は、同志を得て近代日本にふさわしいと考える社会の制度やルールや仕組み作りに取り組んだり
西洋人の文化を学びつつ日本独自のものを追い求めたりしたわけですが、その道のりは非常に厳しかった。(12/10 記事)
たとえば日本を中国とロシアの防波堤として育てるといった地政学的上の大きな枠組みがあるところで
日本でもこれからは民衆の力を政治に反映していくのだ……と気張ってみても、それは最初からごく限られた範囲でしか認められない。
民衆は外国との戦争など望まない、国の都合で駆り出される戦争なんてごめんだ、と主張したところで
大枠が
「日本を中国にぶつける(戦争させる)」
と決まっていたらどうにもならない。そうした現実の厳しさは、水瓶座2度の
「思いがけぬ雷雨」
に象徴されているとわたしは思います。(12/11 記事)
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