(10/20 記事)
それに対して、28度から27度の方へ戻って行くときには
「頂点を目指す情熱」
が、28度へ進むために
(どうしても必要だったもの)
としてより意識されます。
つまり、やみくもにトップを目指すこと(27度)は、単なるステップとして
「そういう段階がある」
という以上に
実は人間は、誰でも必ず
「人類の悪」
「どうしようもない現実」
つまり28度の暗示に含まれるものを目の当たりする必要がある。
(10/21 記事)
山羊座28度の光景(大きな養鶏場)を目の当たりにするためにこそ、人間は誰でもトップに立つ。
「誰でもトップに立つ」
などと言えば
(そんな訳ないでしょ)
と思われるかも知りませんが
ここでは
(トップに立ったのとほぼ同じ経験をダイジェスト版で、またはミニチュア版でする)
という意味にも取って下さい。
(10/22 記事)
どんな人にも、その人なりのトップの経験がある。
たとえばこれまで、他人を管理するような立場なんかには、社会的に一度も立ったことがないとおっしゃる方でも
家庭においては
誰かに対して
(まるで自分が支配者ででもあるかのように)
ふるまって
ときに無慈悲な仕打ちに及んでいた、とか
友人関係で、ほんの一時期ではあるけれど
誰かを
(意のままに動かす)
ような経験をした
などシンボリックな次元ではやはり
「支配者になったことがある!」
のではないでしょうか。