妄想&暴走マンデン読み

ホロスコープのマンデン読みのブログです。

キレイごととしての判断……。 (7/28 - 30)

(7/27 休み)

(7/28 記事)

わたしが先にここでつぶやきました
(達郎さんの現場主義)
というのも、おとといここでつぶやいたような経験を経ているはずで


そのとき
「他人事(キレイごと)としての善悪」

「自分にとっての善悪」
とが衝突します。


これは、お行儀としての守るべき正義(容易に一般化できるルール)と

世間とは関係のなく自分だけを縛っているルール(そうそう一般化できないルール)

とのせめぎ合いと言ってもいいと思います。


(7/29 記事)

きのうつぶやいたような
「せめぎ合い」
が起こったとき

取りあえずお行儀としての正義に従っておいた方が無難だろ……という判断は誰にもやって来そうです。


けれどもそこでは、その人とその仕事の関わりの形や深さ、因縁のようなものまで実は問われていることになります。

ご本人がそれを意識するかどうかは別として。


(7/30)

たとえば仕事の現場で

仕事を通した限りでの観察ではあるけれど
(あの人は信頼できる)
と強く感じている相手が


仕事の現場を離れた次元では

(反社会的な存在だ)
というような批判を浴びたとします。

そういうときに
(あ、じゃあもうあの人とは仕事するの止めよう)
という判断が即座に

当然のようにやって来ることがあるでしょうか。


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